おはこんばんにちは!
さて、前回の続きで敦賀に着いたあとのお話です。
こちらはC58 212号機
1940年製造。横浜線で活躍し晩年は京都と福井を結ぶ小浜線で走っていました。
1970年引退。現在は敦賀駅から程近い本町第三公園で保存されています。
公園自体は結構大きく、その片隅に特製の屋根の下に彼はいました。
汽車の前にはこんな石碑が…
地元のライオンズクラブの創立10周年のイベント…今年で創立59周年ですね!(違うそこじゃない)
こちらは敦賀赤レンガ倉庫
キハ28-3019が保存されています。
「ハ」は普通車を意味します。
この車両、正面の窓が側面にまで延びていて、また正面下には排障器と呼ばれる、障害物を足回りに巻き込まないためのスカートのような装備(グレーのもの)がされています。
この特徴を持つキハ28では111両が製造されましたが、実は完全体で残っているのはこのキハ28-3019のみだそうです。
登場時はキハ28-1019として活躍していましたが、途中で冷房装置を導入した為区別のために3019へ改番されました。
福知山や豊岡周辺で活躍し2000年に廃車
その後和歌山や大阪で保管された後、現在のところへ移されています。
この写真ですが、もともと「橋」でして手前が敦賀駅、奥が敦賀港駅に向かって気動車が渡っていました。右の立方体のようなものは当時の橋の欄干だったそうです。
当時の写真もあるみたいです。
さて、さらに敦賀港に向かえば、急に欧風な建物が。
こちらは旧敦賀港駅駅舎です。
現在は資料館として敦賀周辺の歴史などを見学することができます。あ、無料ですよ!
こちらには貨物コンテナで道を塞いでいます。
貨物営業は2012年で終わっていて実質の廃駅は2019年。現在はトラック輸送を行っている。
敦賀港と敦賀の間はご覧のように中途半端に残っていて、廃線マニアからするとエネゴリのごとくウホウホなわけです。
柵はあるがレールは残っています。
でもレールの隙間は埋められています。
熱中症で踏切が倒れて…
意図的に倒されています。
ある程度敦賀駅へ進むと国道の高架があり、その手前でレールは無くなります。
結構色々残されていて、私が行った時も数名撮られている方がいました。
なお、敦賀周辺は自転車の貸出があちこち無人で行われていて、鉄道利用者はもちろん、車の方も駐車場に置いてそこから利用するという光景も見られました。
この段階で時刻はまだ昼にもなっておらず、この後海鮮丼を食べました。
道中の信号は縦型なのはもちろん、ライトを覆うように透明の被り物をしていました。
午後も続きますので、ここで一旦切ります!
ではまた!