さて、前回の続きです。
美濃駅から車で移動し木知原経由で着いたのが…
読みは「たにぐみ」です。
2001年9月30日で営業を終了した路線で、ここから黒野駅まで結んでいました。
今回は谷汲から黒野までを見ていきます。
谷汲の駅案内です。
本揖斐の方は黒野着いてから行こうとしたのですが、途中で天気が悪くなったのでやめました。
谷汲駅構内は立ち入りができます。
モ755号。こちらは中に入れます。
モ755号からの景色です。
結構先まで線路は残っていました。
木板がいい味を出しています。
良き匂いでした。
横の道路より。
さて、谷汲を後にします。
次の長瀬までの区間の写真です。
左の盛土のところが跡地です。
一旦左へ離れていきます。
斜めに道路を横断
(対向車の辺りが横断部分です)
長瀬駅跡
前の道はやや広くなっていました。
境界はわかりにくいですが、なんとなく
廃線跡感はあります。
次の赤石駅へ進みます。
ここも道を線路が横断しています。
赤石駅を少し超えたあたりです。
こういう景色好きですわ、えぇ。
中途半端に踏切の跡があります。
さらに進むと、真横に廃線跡が!
こ、これは!!青酸カリ!!
言いたかっただけです。
こちらは北野畑駅です。
北野畑と更地駅の間です。
撤去しただけですね…
道路に沿って走ってた訳では無いので
建築基準法的に家建てられないってことでしょうか。(家建てる時は敷地に最低2m以上の道路に接しないといけない。)
豊木駅跡…はこれの反対側です。
廃止から20年も経っていますが、
敷地が変わってないのはなんかいいですね。
鉄橋とか結構撤去しがちなんですが、綺麗にのこってますねぇ!
黒野駅です。
2001年の谷汲線全線と揖斐線黒野~本揖斐の廃止で終着駅となり、晩年は揖斐線忠節(市内線岐阜駅前から直通)~黒野間のみ。
踏切は廃止後新しいものになっています。
線路が続いていたという証拠ですね。
ちなみに先程出ていた忠節駅ですが、
その隣の駅が「尻毛」その隣が「又丸」
という下ネタ駅がありました。
それぞれ「しっけ」「またまる」と読みます。
先程も申した通り本来この後本揖斐方面へ行こうとしたのですが、夕立にあった為避難しました。
雨がマシになり向かったところは…
こてら西濃運輸の路線でして…
つまりここは…
JR美濃赤坂支線(一応東海道本線の一部)の終着駅兼西濃運輸専用鉄路のある駅で、近くの山から出る石灰石の輸送を目的として、1日数往復走る。
写真の左が西濃運輸の乙女坂、猿岩へ向かう線路、右が美濃赤坂駅の旅客ホーム。真ん中のでっかいプラットホームはかつて使われていたのでしょうかね。
美濃赤坂駅は現在4-50分に1本程度大垣行きがやってきます。
なかなか味のある駅舎ですね。
ワンマン運転のためドアは一部しか開きません。
大垣行き発車し、車で10数分、たどり着いたのは
予想通り(?)大垣です。
大垣での撮影をダイジェスト版でお送りいたします。
樽見鉄道ホームです。
CCネットさんには名古屋の時にお世話になりました。
2度ほど大垣に来たことありますが樽見鉄道は本日初撮影なのです。
ワイドビューひだ36号大阪行き
1日1往復する大阪発着のひだです。
行きは25号として岐阜から名古屋発5号と連結
帰りは36号として岐阜まで名古屋行16号と連結です。
連結相手の名古屋発着のひだの号数に20を足せば大阪発着になるようです。
樽見鉄道の神海行き
なんか凄いとこに連れて行かれそうな行先です。
そして、大垣は養老鉄道の利用でもあるということを忘れてはいけません。
元東急の車両です。
今度養老鉄道沿線も行きたいですね!
最後に養老鉄道の0キロポストです。
起点を表す0の表記です。
なんやかんやで大垣には3時間以上いました。
急いで下道で2時間かけて帰宅。
これにて岐阜編は終了でした。
今回はここまで!
ご覧頂きありがとうございました!
ではまた次回!
これにてドロン!!