前回で無事に強制的に沖縄の話を終わらせ、話を一気に今日の話にしようかと思いましたが、どうしても飛ばせない内容がありました。
それは、今の東北の現状です。
正直これは載せるべきかどうか迷いどころではありますが、やはり全国民が知っておくべき内容であると思います。
3月21日~23日に気仙沼へ行きました。
目的は
・現状を知ること
・とある仮設地区で交流を深める
・今の状況を関西の人たちにも知ってもらう
主にこの3つです。
関空6:30の飛行機で仙台へ向かい、仙台駅からは今回お世話になった東日本大震災復興支援市民活動ネットワーク宮城の方の車で気仙沼の方へ向かいました。
では今からそこでの写真をお見せしていきます。
まず、仙台空港の写真からです。うしろはもともと木々で囲まれていたようですが、現在はこのようにごく一部分しか残っていません。この時点で身震いを起こしたのを覚えています。
これは、仙台空港線の車両で仙台駅まで走ります。この路線も津波でレールは歪み、防音壁は崩落し仙台空港駅の1階が躯体のみを残し、ほぼ壊滅となりました。完全復活まで7か月を要しました。
これはJRの志津川駅です。どこに線路があるかっていう話ですが今はありません。
もともとは気仙沼線志津川駅が存在していましたが、何から何まで流され(近くの公園にあった100トンのSLも車輪が取れて横に倒れたくらいです)鉄道としての復活を断念し、線路跡を舗装して代替バス専用の道にしました。そのバスの名前はBRT(バス・ラピッド・トランジット:バス高速輸送システム)として、現在は代替ではなく本格運行しています。
なおこの場所で消防士2名が津波の犠牲になられました。
このモアイ像。モアイの通り、チリから贈られてきました。
1960年のチリ地震津波で本吉郡南三陸町志津川地区41名が犠牲になり、家屋も倒壊。この津波の記憶を残すために30年後の1991年にイースター島からモアイ像が贈られました。
しかし今回の津波でモアイ像は流失。頭部は発見されたが他は見つかりませんでした。
そこでチリは再びイースター島からモアイ像を贈ることを決め、2013年5月25日2代目モアイ像が誕生しました。
このモアイ像には眼がありますが、世界に眼のあるモアイ像は2体しかないそうです。
なお、モアイ像制作に取りかかったベネディクト氏は志津川町訪問時にこう言いました。
「眼を入れるとマナ(霊力)がモアイに宿る。南三陸の悲しみを取り払い復興を見守る存在になることを願っている。」(サイト「東北の物語」より)
モアイ像の前には、仮設住宅の立ち並ぶ商店街がありました。みなさんも聞いたことがあるのではないでしょうか。
これもテレビで見たという方が多いのではないでしょうか。防災対策庁舎です。
震災当日、この場所で悲劇が起きました。
この庁舎の2階で防災担当だった24歳の女性。地震が起きて大津波警報が出た後もこの職員は無線放送で町民に対し避難を呼びかけていました。
「6メートルの津波が来ます。高台へ避難してください」
このあと、15.5メートルの津波が庁舎を襲いました。
ちなみに隣には当時町役場があったが、それも流されました。
津波は屋上よりさらに2メートル上まで上昇。職員30人のうち、写真上にあるアンテナ等にしがみついて生還したのはわずかに10人。無線放送を流し続けた女性も犠牲になりました。この女性はその年の秋に結婚式を挙げる予定だっただけにとても心苦しい気持ちになりました。
こちらは気仙沼市本吉町小泉地区です。このあたりはおよそ20メートルの津波が観測されました。右から左にあり、途中で途切れているのが旧気仙沼線です。
20メートル=写真やや下の太陽電池のパネルあたり
ここまで上がってきたなんて想像がつかないですよね。。。
後ろにある茶色の建物・・・
これはもともとホテルでした。
震災前から廃業だったそうです。
手前にあるコンクリの骨組みはボウリング場の基礎部分です。建物は完全に流されました。
ここでみなさん。何かに気づきませんか?
なぜ、水上に建物があるのか。。。
これが答えです。
写真右側に小さくテトラポットが積んであるのが見えると思います。
以前はそこまで陸だったのです。つまり、水位が上昇しているのです。さらにこの写真で分かるように、浜辺っぽくなっていますが、前は普通の建物が立ち並ぶところでした。おそらくテトラポットあたりから流されてきたのでしょう。
堤防も本来は左端の三角の土台までありましたが、崩落しています。
こちらは、旧大谷海岸(オオヤカイガン)駅です。この写真の反対側に道の駅があり、BRTの駅もあります。この場所もおよそ20メートルの津波が来ました。日本で一番海岸に近い駅で、右の黒の土嚢の反対側は海です。
約九メートルもの木でチェーンソーアートの方が彫刻されたようです。とても精密で、この方の思いが十分に伝わりました。
これは気仙沼向洋高校の校舎で手前が旧校舎、奥が新校舎です。
旧校舎から新校舎への移行は2011年4月からだったそうです。
つまり新校舎は一回も使われることもなく、被災したのです。
以上が現状です。しかしそのような中でも良いものを見ることができました。
津波で一本のみ残った松の木に流木が引っかかり、まるでドラゴンのような状態になったものがあるこのスポット。
これは夕暮れ時ですが、翌日朝5時半は。。。
絶景でした。ちなみに左側の銅像は、秀ノ山雷五郎という相撲力士で津波に飲みこまれながらも流されることはありませんでした。
ていうことで今回はみなさんにぜひ現在の状況を知ってもらうべく、写真をたくさん載せました。いい刺激になってもらえればと思います。