さて、去年の夏の旅行話を強引に終わらせ、今回からは久しぶりの廃線跡巡りをお届けします。
今回向かったのは…
JR西脇市駅
JR加古川線の途中駅でこの駅を境に北東方向、谷川方面と南西方向、加古川方面で列車の本数が倍変わります。(加古川~西脇市が18-19本程度、西脇市~谷川が8-9本程度)
この名前が付いたのは平成2年からで、それまでは地名である「野村」を駅名として名乗っていました。
野村駅時代はこの駅から鍛冶屋線というJR(ほぼ国鉄時代ですが)の路線が出ていました。
今回はその鍛冶屋線を巡ります。
この記事では途中の市原駅跡まで巡ります。
ざっと路線図はこんな感じ
携帯に右手中指で4秒なぞりで作ったのでズレはありますがだいたい合ってます(take10くらい)
鍛冶屋線野村駅を出ると最初の駅は「西脇駅」
です。
ここは西脇市、つまり現在の西脇市駅は鍛冶屋線の西脇駅廃駅により改名されたのです。
西脇市駅から北東へ進む加古川線谷川方面に対し、鍛冶屋線は北方面へ進んでいました。
写真は西脇大橋交差点付近です。西脇市駅方面を向いています。どことなく単線の面影があります。
今の場所から北方面へ向くと堤防のような道が左手にあります。こちらが廃線跡です。
足元には踏切時代の跡が!
橋脚の土台などもそのまま使用されています。
しばらく進むと大きな建物が現れました。
こちらはアピカホールです。
付近には西脇市役所もあり、現在の西脇市駅よりも栄えています。
奥が西脇市駅方面
手前にガードレールがありますがここから大通りに入ります。急に道幅が広くなるのでギャップがすごいです。
奥が鍛冶屋方面
歩道もやけに広いですが…
ここに西脇駅がありましたーという看板がありました。
この大通りはレントン通りというそうです。
車止めのレプリカと…
鍛冶屋線巡りの案内板がありました。
今後こういう看板が各駅で見ることができます。
国土地理院地図より
廃線前の鍛冶屋線西脇駅付近です。
いわゆる国鉄型ホームといわれるつくりで
改札側に1面1線と1面2線を有するものでした。
西脇駅を超えると…
やや道幅の広い県道となります。
ここも廃線跡です。
道路の右寄りに線路が敷かれていました。
当時は道路はなく、廃線後拡幅されています。
さて、左側に古そうな建物を発見。
そしてなんだこれは。
ということでこちらは西脇駅の隣、市原駅です。
駅舎のようなこの建物は廃駅、解体後復元したもので、内部は鉄道資料館となっています。
狭い範囲ではありますが無料で当時の資料を沢山知ることができます!
ホームは1面1線のみだったみたいですが、右の木々の方に道路が拡幅されたみたいで、ぱっと見ると「もっと敷けたやん」って思えます…
で、触れない訳にも行かず…
キハ30形気動車は廃線まで鍛冶屋線で活躍していたと同時に引退し、ここにキハ30 70+キハ30 72が保存されています。
もとは水色に白のラインが入っていましたが、廃止後20年が経った2010年に地域住民によりペイントが行われました。
踏切も当時のものでしょうかね…
ホームも残されています。
腕木式信号機も保存されています。
手動で切り替える信号機で、白い横棒の先に赤青のフィルムのようなものが付いており、固定のライトに対して横棒を上下して信号の色を確認する仕組みです。
以上、市原駅でした。
ちなみに
こちらが現在の市原駅
こちらが70年代の市原駅
こうやって見ると川沿いの緑が道路に変わっているのが分かりますね!
今回はここまで!
続きは次回です!